
壱岐、
元寇・文永の役の激戦地をめぐる。
めぐったところ
- 新城神社
- 文永の役古戦場跡
- 千本供養塔
壱岐における
文永の役
鎌倉時代の蒙古襲来(元寇)の時、壱岐島にも元軍が上陸し暴のかぎりをつくした、と伝えられている。
平景隆
文永11年(1274年)、蒙古軍が壱岐に上陸したときの守護。
平景隆は、野戦で蒙古軍に戦うも蒙古軍に敗退し樋詰城に退却。翌朝、蒙古軍は、樋詰城を攻撃し、樋詰城は落城。平景隆をはじめ家臣は自害した。
新城神社には、平景隆の墓所があります。

平景隆公自刃の地の石碑
新城神社
訪問時期:2023年5月
中見出し


「壱岐大社」とよめる扁額。壱岐大社なんてあったっけ、そしてこちらの神社との関連はなんだろう。

手水桶
ほら貝の手水桶。

めっちゃ大きいね。

近くで風化していた大きな岩。これは、元・手水桶かな。

拝殿
小さめの拝殿。

ぐるっと回ってみた。

境内に、おおきな南国の植物。

平景隆公之墓所
奥には、文永の役で自刃した守護・平景隆公のお墓。



新しいお供え物。手入れされているのだな。

平景隆公の石碑
風化して、解読できなかった。

お城の名残?
トンネルのようなものがありました。


平景隆公自刃之地 の石碑

参拝客は私のみで、とても静か。

アクセス
新城神社
長崎県壱岐市勝本町新城東触441
Googleマップ 公式サイト
文永の役
新城古戦場跡
訪問時期:2023年5月

ここは数多くの伝承地の代表
文永の役での元軍との戦いは主に勝本町城内で行われた。これを裏付ける伝承地として、元軍の上陸地(浦海 馬場崎 天ヶ原)、古戦場(浦海 射矢本 勝負本 火箭野山城 射場 高麗橋 唐人 対陣原)、城(樋詰城 庄三郎ヶ城)、多くの遺体を一ヶ所に埋めた千人塚(浦海 本宮西 大箭野先 天ヶ原 射場原 新城元から身を隠した人穴(古城 新城)、平景の墓、姫御前などがある。
引用:案内板より

並んだ石碑、仏像、
そしてお花たち
こちらは、とにかくお花がきれいだった。

艶やかな椿。

千人塚

仏様のまわりには、華やかな花がたくさん備えられている。

手入れをされているのだな、地元の方が大事に思っている場所なのだな。


アクセス
文永の役 新城古戦場
長崎県壱岐市勝本町新城東触441
Googleマップ
千本供養塚
訪問時期:2023年5月
地図にも載っていない、通りがかりのスポット。

どれが塚だか判明せず
かなり荒れていて、どれのことを指しているかわからなかった。
祠があったので手を合わせておく。


傘の下には、お地蔵様。

優しいお顔立ち。

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元寇ゆかりの地
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壱岐の神社
壱岐七社めぐり






































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