大阪在住の会社員コムギの、
スパルタントラベラー日記。
佐渡島を原付で一周の旅。
佐渡金山へ。
相川地区の史跡は、
●宗太夫坑
●道遊坑道
●道遊の割戸
●北沢浮遊選鉱場跡
佐渡金山について
400年の歴史
江戸時代、3人の山師により開山後、資源枯渇により操業停止した平成元年まで、約400年の歴史がある。平成元年って、つい、この間じゃないの。
日本最大の金山
東西3,000m、南北600m、深さ800mに広がる。採掘された金銀が江戸幕府の財政を支えた。
金銀鉱脈のでき方
金銀のでき方なんて、細かく考えたことなかった。大人になってから随分経つけれど、まだまだ知らないことだらけ。
宗太夫坑
江戸初期の坑道跡。
地下へ進む
掘り進められていた坑道を歩いていく。ものすごく寒い。上着がいるね。
ジオラマ
行動を進みながら、ジオラマで再現された当時の採掘の様子を見る。
彫るだけでなく、運んだり、風を送ったりする仕事もある。
別に怖いシーンではないけれど、泣き出しちゃう幼子が何人かいた。
儀式のシーンもありました。
説明書きはシンプルでわかりやすい。採掘用の工具の取り扱いについて。
触れる金塊
本物の金塊を持ち上げることができる体験コーナー。ここは行列。
みんな挑戦するけれど、あまりの重さに片手で持ち上げることができない。
金塊を抱えて逃げるシーンを見てきたように思うけれど、実際そんなのは不可能だろう。重さの観点からも、価値の保存からも、金塊って有能なのね。
佐渡小判
佐渡奉行所に隣接して設けられていた「後藤役所」にて、小判の鋳造も行われていた。
佐渡金山跡
新潟県佐渡市下相川1305
・Googleマップ
・史跡 佐渡金山(公式ページ)
道遊坑
明治から平成元年の操業停止まで使用された坑道。
道遊坑入口
長い坑道を進みます。
平成元年まで操業していたんだもんな。
道遊坑出口
高任立坑
「立坑」とは、垂直坑道のこと。
道遊の割戸
金鉱脈を掘り進める間に山が割れたようになったもの。佐渡金山のシンボル的遺跡。
この割れ目、ぜんぶ手堀りなんですよね。
まるで岩に斧を振りかざした割れ目のよう。
でも、コツコツ掘ったのだよなあ。さっき説明板でみた工具でね。
高任公園から眺めた道遊の割戸。うん、すごい。
機械工場
トロッコ
高任坑
ラピュタの世界!
北沢浮遊選鉱場跡
相川金銀山で採掘された鉱石の選鉱場。粉砕した鉱石から金銀を回収する。
1952年の佐渡金山の大縮小のときに解体された。約70年前に役割を終えた建物。
建物にツタが巻きついて、まるでラピュタみたい。
早朝がおすすめ
出遅れたと思ったけれど、いったら誰もいなかった。静か。ラピュタみたい。ツタが絡まる廃墟。
夜はライトアップ(期間限定)
居酒屋で、夜はライトアップしているから行ってみたらと勧められる。
聞いたときには、すでにビールを飲んでいた。行けなかった。よかったらどうぞ。
佐渡を知るには、
まずは佐渡金山へ
桃鉄で知っていた「佐渡=金山」。そのあと、歴史で学んだ。
実際に、佐渡島をめぐって感じたこと。金銀採掘そのものがもたらす富だけでなく、町の発展、人流増大など、佐渡の歴史を動かしてきた、佐渡金山こそ佐渡の歴史すべてなんだな。
佐渡観光では絶対に外せない史跡、ぜひ訪れてみよう。
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