奄美大島から日帰りで、
加計呂麻(かけろま)島へ。
太平洋戦争の戦跡をめぐりました。
●第18震洋隊基地跡(呑之浦)
●艦船用給水ダム跡(三浦)
●大島防衛隊本部跡(瀬相)
●安脚場戦跡公園(安脚場)
●待網崎農村公園(待網崎)
第18震洋隊基地跡(呑之浦)
穏やかな呑之浦のほとりの基地跡。
洞穴に隠された「震洋」
穏やかな呑之浦。
震洋艇格納壕跡
洞窟の中に特攻艇がありました。
特攻艇「震洋」のレプリカ
これが特攻艇なの!?
知覧でゼロ戦特攻隊士たちの遺品もみたし、人間魚雷の存在も知っている。でも「震洋」とい特攻艇は、知らなかった。
物資不足の戦時中でも量産できたという震洋は、ペラペラのつくり。
これにエンジンをつけただけだったそう。まずこのボートで、敵の船がいるところまでたどり着けるものなのだろうか。それでも突撃せざるをえないような戦局だったのだろう。
第18震洋隊は出撃命令がでることはなかった。
島尾敏雄文学碑公園(呑之浦)
基地跡の入口の公園。
基地跡の入口の公園に、第18震洋隊長をつとめた文学者・島尾敏雄氏。
写真家・しまおまほ氏の祖父だったのですね。
呑之浦はとても穏やかで静か。
艦船用給水ダム跡(三浦)
県道からそれて向かう。
悪道を登る
砂利道が怖い。もっと手前で停めて歩けば良かったかな。こけてしまわないか不安になる。
ダム跡
艦船の給水用ダム。海軍の軍港であった薩川湾に近い三浦集落の森の中にありました。
まるで橋にみえるけれど、これはダムの淵。
ダムには現在も水がたっぷり。
うっかりこけないよう、気をつけねば。
大島防衛隊本部跡(瀬相)
瀬相港からすぐ。
海軍慰霊碑
旧海軍司令部跡
堅牢なコンクリート造りの壕。南国の木々に覆われていた。
地下に下って、建物の中に入る。
崩壊の危険があり危ないので、入れない。
カメラを差し入れるだけ。
海軍魂の文字。
刻まれていた詩
国鎮め 奄美護りし 英霊(みたま)たち
今安らけく 瀬相の母校(みなと)に
安脚場戦跡公園(安脚場)
安脚場は「あんきゃば」と読む。難読地名だ。
公園には、大島海峡(旧)軍事施設群がある。
敷き詰められたように感じるほどの、花弁でいっぱいの道。
弾薬庫跡
ここには入れた。
金子手崎防備衛所
崩壊のおそれがあるため、中には入れず。
軍事施設は堅牢な建物が多いけれど、それでもやっぱり朽ちるものなのか。
展望所あり
建物横の階段を上る。
そこは展望所。
眺望抜群!
加計呂麻イチの絶景が拝めた。
上から見る金子手崎防備衛所。草に埋もれている。
待網崎農村公園
待網崎は「まちゃみざき」。
え
一から四まで付番された砲台跡。公園入口から片道10分もかからないくらい。
一番砲台跡
二番砲台跡
少し歩いたら二番砲台跡。
草むらに埋もれている。
四番砲台跡
展望所になっていた。
三番砲台跡は不明
見つけられず!
代わりに見つけた「高射機跡」。モノは不明。
深追いしないで撤退、降ります。
加計呂麻の戦跡めぐりを終えて
●特攻艇震洋と穏やかな呑之浦の入江の対比が悲しい
●朽ちていく戦争遺跡、どうにかならないものか
観光客がこないと、保全する予算の確保も難しいのかな。
おしまい。
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