大阪在住の会社員コムギの、
スパルタントラベラー日記。
おくのほそ道ゆかりの地めぐり。
おくのほそ道〈北陸路〉
小松(2)多太神社・実盛の甲
おくのほそ道:小松(2)多太神社
小松にて:多太神社にて斎藤実盛の兜をみた芭蕉は、彼の壮絶な最期に哀悼の句を捧げる
掲載箇所
このところ太田の神社に詣ず。
真盛が甲・錦の切(きれ)あり。
そのむかし源氏に属せし時、義朝公よりたまはらせたまふとかや。
げにも平士(ひらさむらい)のものにあらず。
目庇(まびさし)より吹返しまで、菊唐草のほりもの金(こがね)をちりばめ、龍頭(たつがしら)に鍬形打ったり。
真盛討死にの後、木曽義仲願状にそへてこの社にこめられはべるよし、樋口の次郎が使いせしことども、まのあたり縁記にみえたり。
むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす
おくのほそ道ゆかりの地:
小松を歩く
おくのほそ道は、古来の歌枕を巡る旅だった。
おくのほそ道ゆかりのスポットを旅している私は、当時の芭蕉翁と同じような旅をしているんだな。
芭蕉は、小松を2回訪れている。
一度目は、山王句会を催した。
● 本折日吉神社(芭蕉句碑)
● 建聖寺(芭蕉句碑)
● 莵橋神社
● 芦城公園
● 小松天満宮
おくのほそ道ゆかりの地
多太神社
多太神社:斉藤実盛の甲がある。
小松のメインは、こちらの多太神社。実盛の兜が奉納され、現在も宝物館にて大切に保管されている。
参道を歩くと、像や句碑が並ぶ。
兜の像
「実盛の兜」の像。
芭蕉の像
ここを訪れた芭蕉翁の像。
句碑
兜を拝観し、芭蕉が奉納した句。
むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす
斎藤実盛公の像
その生き様が、平家物語、謡曲にもなる斎藤実盛公。
斉藤実盛の甲
宝物館の見学には事前予約が必要
予約していなかったけれど、運よく拝むことができました。
兜をみるために予約が必要とは知らず、失敗したなあと思っていた。訪問時は、神社では、イベントに向けて町の男性方が境内の掃除をしていたところ。
清掃していた方がコムギに気づいてくださって、メンバーのなかに甲保存会の会長さんがいらっしゃるから、頼んであげると助けてくださった。
掃除を中断して宝物館をみせてくださる。たっぷり解説も。お掃除中にありがとうございました。
歴史に疎い私にも楽しめて、とても興味が沸いてきた。
斎藤実盛公の過酷な武士の運命に、日本人ならば感じ入ってしまうだろう。謡曲の「三修羅」のひとつだそう。
実盛の甲(かぶと)
斎藤実盛は、かつて養育したことのある木曾義仲の軍勢に討たれる。義仲は祈願状を書き、実盛の兜と錦の切れを神社に奉納する。
省略しすぎたかしら。
こんなドラマティックな話、大河ドラマになりそうなものですね。そうたずねると、実際に、町おこしとしてドラマ化への働きかけもあったときく。なんでも、「この話にはヒロインが登場しないからドラマ化に不向きである」と頓挫したのだとか。
たしかに、最近の大河ドラマでは、無理やりなヒロイン設定もあるものなあ。ヒロインの存在って、視聴者獲得のためには必要なのね。
斉藤実盛の甲
本物は、保存のために撮影不可。
詳細に記された本をパシャり。
実盛公を描いたもの。
木札:芭蕉も見た!?
この木札をみてみてください。
元禄二年とあるでしょう、と会長さん。
元禄二歳にや・・で始まる「草加」の章を思い出す。そう、元禄二年は、芭蕉がおくのほそ道を旅した年なのです。
きっと芭蕉も見たのでしょうね、と会長さん。
芭蕉直筆の短冊もありました。
兜に感激し、斎藤実盛公のドラマに感動する。
芭蕉の跡をたどっているだけだけれど、自分では思いも寄らない感動が訪れるのが、この旅のよいところ。
多太神社
石川県小松市上本折町72
・Googleマップ
小松・多太神社を訪れて
小松・多太神社は、
●実盛の甲は必見
●宝物館拝観は予約が必要
おくのほそ道ゆかりの地をたずねる旅。
まだまだつづく。
▼次の旅:那谷(北陸路)
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